【日記】2021年11月29日(月)

 今日は締切に向けていくつかの原稿を進めている。とはいえ、やはり昼遅くから活動を始めたため、すぐに夕方になってカルチャースクールでの授業に望む。毎週、月曜日は対面ではなくオンライン形式で、語学(講読)を教えている。

 授業が終わったらジムで運動して施設に附属する風呂に入る。深夜過ぎまで頑張りたいところだったが、風呂に長く浸かったのが悪かったのか、眠気のせいで筆に力が入らない。翌日の課題読書が済んでいないがどうしようかと考えつつ、すっかり眠り込んでしまった。その日の仕事を中断するための決断を下すのは、特に疲れているときは、極めて難しい。

 夜半の変な時間に起きてお腹が空いたので、「中華一番」をアレンジして夜食とした。牛乳を混ぜて麺を煮て、刻んだハムとネギを加え、最後は粉末スープとラー油を入れる。味が薄かったのでブイヨンを入れて西洋風要素を増してみた。嗚呼「中華」の風味は何処へやら…これでは「西風圧東風」である(毛同志激怒不可避!)

 

 

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【日記】2021年11月28日(日)

 昨日の研究会のオンライン打ち上げで1杯だけビールを飲んだが、気分酔いが災いしてか、普段の疲れをちゃんと解消していないからか、予想したよりも長々と寝てしまった。本日はある科研費の集まりにお呼ばれしていたのであった。来年度の留学で受入を希望している機関の先生が報告されるということなので、急いで準備して出席。

 

(以下準備中)

【日記】2021年11月27日(土)

 本日は、私も中央委員としてお手伝いしている歴史論研究会の例会に参加した。今回は委員の林祐一郎さんが「知的エリートの空間認識」という企画でフォーラムを組んでくれた。

shironkenoffice.hatenablog.com

 

 会場での細かい議論の内容をここに書くのは避けるが、全体として史論研らしい自由な議論ができたと思う。我々の研究会には「時代」と「空間」という2つの線分で囲われた一つひとつの小さな格子を突破できるような〈場〉を作りたいという理念がある。歴史学の界隈では、自己紹介をする際、時代・空間の組み合わせを呪文のように唱える習わし(日本中世史、アイルランド近代史のように)がある。科学的制度や能力の限度といった観点からすれば、そうした習わしで研究者としての自己認識を形作るのは一定の合理性があるのは確かであるし、自分が担当できる範囲を明確に定めておくのは学者の慎みにとって重要である。とはいえ、それが行き過ぎれば「私は〇〇史だから、××史はわかりません」という自己に課すべき謙虚な言辞は、容易に他者に課す厳しい律法へと転じてしまう。

 だが、よくよく考えてみよう。あなたは初めから「日本近代史」をやりたいと思ったのか? それ以前にあなた自身の内面から出てくる問い、それこそが小さな格子の群れに先立つのではないのか? まだ「日本」という様々に変化する空間的概念、あるいは一つの傾向をもった〈磁場〉から始めるのならばよく分かる。だが「中世」だの「近代」だのといった時代区分は、それ自体がある時空間で生まれた主観的な構成物である以上、アプリオリな線分として是認していいはずがない。例えば「近世」という言葉には、ルネサンス以来を「近代」と考えてきたけれども、19世紀以降の転換を機に「前期近代」と「後期近代」を分けねばならなくなったという事情、また「近代」概念を適用する場合、日本には二つの「近代化」があったのではないかという論点が含まれている。

 歴史を学ぶ人同士がジャンルを越えて議論しましょうという声は、日本においても戦前から何度も叫ばれている。昨今は「グローバル・ヒストリー」の流行もあって、異なる空間を繋げる試みは面白い方向に進んでいると思うし、「メタヒストリー」(H・ホワイト)や「歴史認識論」(佐藤正幸氏)によって、以上のような(やや古めかしい)歴史意識や時代区分の議論も再開するようになっている。とはいえ、それを制度としてどのように持続可能なものにするかという実践的な課題はいまだに残り続けている。

 極論めいた言い方になるが、日本の大きな学会では珍しくない「時代別部会」方式は少し多すぎではないか。同じ時代というだけで異なる方法論やテーマをもった報告者が同じセッションで話したり議論するのを可能にするには一工夫いるはずだ。その場にいる人がなんとなく抱いている「近代」や「中世」といった時代区分の意識を再生産し、それらを「外部」から問い直すという動きを封じる恐れ(ムラ社会的な「空気」)さえあるのではないか。そして案の定、自分の興味のあるテーマの報告だけを聞いて、それ以外は聞かないという態度を取ってしまいがちになる。

 ここは欧米の国際学会で見られるパネル方式をもっと積極的に行うべきである。少なくとも、何の接点もない(ないし司会が接点を見出そうとしない)複数人の報告者を揃えて機械的に行う「通常例会」で満足するのは、運営側の怠慢だとさえ思う。だから、この点については「出羽守」を演じるのも悪くはない。何かひとつのテーマや問題意識、方法論の旗のもと、なるべく様々な背景をもった人を組み合わせて、時空間の格子を越えた議論を惹起する。それらを貫く一本の力強い線を描けるような展望を聴衆に示せれば御の字である(がなかなかそこまでたどり着くものは少ない…)。他の中央委員がどう考えているかは知らないが、少なくとも私は、「問いかけが時空間に先立つ」ように歴史研究の〈場〉を一人ひとりが設定するよう努めるべきであると考える。

 時空間の格子を越えた〈ハレ〉の日の一期一会をこれからも楽しみたい。企画者・報告者・参加者の皆さまにこの場を借りて御礼申し上げます。

【日記】2021年11月26日(金)

 今日はあまり目覚めがよろしくなかった。というわけで作業は主に午後から。片付けねばならない原稿が3つあったのだが、喫緊を要する書類仕事が現れたため、そちらに全力を注ぐ。というわけで月1回開催で楽しみしている研究会は直前にキャンセルしてしまった(担当者の方にはお詫び申し上げます)。

 あっという間に日も暮れたのでカルチャースクールでの授業に勤しむ。1コマ目は社会人向けクラス、2コマ目は中高生向けクラスを担当しているが、いずれも同じく歴史に関する新書を読み進めて講師がコメントするというもの。テキストがどの言語で書かれていても(母語であっても)、講読は原則として「文字通りに読むこと」が最も大事だと考えている。まずは自分の解釈や拘りを入れずに「書いてある通りに」読むこと。それは「素読」や「リテラルlitéral」という言い方もできるだろうが、普段から書に親しむ者からしても実はこれが一番難しい。

 特に21世紀に生きる我々は、簡単に発信媒体を利用することができるため、「オリジナル」であることを求められるし、誰もが「創造的」たりうるかのような錯覚を覚えてしまう。そうした強迫観念のせいで、他人とは違った「読み込み」を過剰にするあまり、一見すると驚くような結論が出揃う反面、その議論の構造は凡庸だったり、過程に穴だらけだったりする事例は決して少なくない。蓮實重彦氏が対象への愛に溢れた浩瀚なマクシム・デュカン論のなかで主張するように、オリジナリティを求めれば求めるほど凡庸になってしまう。フローベールがこの偉大な凡才をもつ友と一線を画すことができたのは、彼がただ観ることだけをできたからだという。

 

bookclub.kodansha.co.jp

【日記】2021年11月25日(木)

 今朝はある大学での定例ゼミナールの日。私はオブザーバーとして参加させてもらっている。自分の守備範囲をあまりに越えていたので質問ができなかったが、人の報告を聞いていて何のコメントもしないのはその場にいないのと同じだ。この領域(文学理論)については時間を作って勉強せねばならない。

 午後は研究所に出勤。一昨日、須賀川から送った段ボールを受け取らねばならない。早速、本をずっしり詰めた箱が着払い(およそ9000円也)で届くが、財布のなかには3000円しかない。これはやってしまったなぁ。その場の事務の方が機転を利かせ、料金を立て替えてくれたおかげで、私は「食い逃げ」ならぬ「受け逃げ」の責を負わずに済んだ…(事務員さん、どうもありがとうございます!)。

 さて、ひとまず地下の院生研究室にこの立方体の鈍器を運び込むのだが、一つ足りない。箱には「其の一」から「其の五」まで番号をつけていたのだが、「其の四」がまだ来ていないようだった。仕方がないので昼飯を食べ、すぐに近場のスーパーでお金をおろして事務の方にお金を返すこと30分、その間に残りの一箱が届いたようだ。

 早速、戦利品を開封してこれと戯れたいところであったが、今の私は提出書類やその他諸々の締切の連合軍によって四面楚歌の状態にある。科研費予算を執行すべく、書類を作っているうちに(最近はほぼそのためだけに研究所に来ているといってもよいが…)、赤い夕日が落ちてきて、18時過ぎに帰宅。すぐに週1回のフランス語会話勉強会に出席(付け焼き刃の予習がたたってあまり話せず…)。2時間仮眠してから風呂に入ると日も変わりつつあったが、書き物が終わっていないので栄養ドリンクと唐揚げを食べてから、果てしのないデスゲームへと踏み切る。

【日記】2021年11月24日(水)

 昨日は福島出張の疲れが度を越していたからか、自然な眠りに落ちることがなかなかできず、朝11時に目を覚まして約束のオンライン会談を30分ほど行った。身体がまるごとより多くの睡眠を要求していたので、もう一眠りしていると外の空気は既に闇に覆われていた。15時間の睡眠で旅の疲れは快復した。要は丸1日寝ているだけであった。だが「作らずして喰わず」だ。もう30超えたのだから、たとえ駄文であっても毎日、何か書かねば。

 

 さて、先月にある公募に落ちた。それは日本国内でも屈指の研究機関で、修士号取得でも応募できるとあり、一応は私のカバーする領域であった。今時、ポスドクですら3年以上の雇用はほとんどないなか、採用期間は5年以上という破格の条件。だからダメ元で出してみたのだが、面接にさえ呼んでもらえなかった…。

 敗因としては、まずは求められる分野と自分の分野が実はズレていたことが考えられるが、そればかりはどうしようもない。しかし、次の2点は改善できるはずだ。第一は、業績数の不足。募集要項には「著作や論文を3本出してください」とあったが、募集時の私は査読付き論文1.5本、査読なし1本(掲載予定)しかなかったため、そもそもエントリー基準すら満たしていないことになる。

 次に、応募体裁の調整。毎度ながら締切ギリギリに書類を揃える悪癖が治っておらず、この募集でも論文複写や履歴書・業績一覧などを徹夜で作って、締切当日にバイク便で届けてもらうという有様であった。公募というのは、論文や書き物と違って「最後の悪あがき」など通用しない世界、引っかかるかどうかはつゆ知らずドンと構えているしかないものなのだから、早めに出してしまった方がいい。また、公募は自分の人柄を書類だけで伝える工夫が必要であることを考えれば、書類だけをぶっきらぼうに出すのは体裁として良くなかった。

 その後、ある海外研究機関のプロジェクトRAに応募しているのだが、そこで「カバーレター」という風習を知る。要は応募書類とは別に提出する短い手紙のことである。欧米のRAやポスドクに応募する際は勿論、英語の査読誌に投稿する場合もこれを書くことが多いのだという(自然科学や社会科学を専攻する人にはお馴染みだろう)。確かに、見ず知らずの誰かさんから応募書類一式だけをぶっきらぼうに渡されるより、ちょっとしたものでも誠意を見せるものがあった方が印象ははるかに良いだろう。なお、人文系で英語圏のポストに応募する際のカバーレターの書き方については以下のサイトが大いに参考になった。

 

transculturalconsultancy.com

 

 というわけで12月最初に、ある雑誌に投稿しようと試みているが、すぐに用意できる書類は用意してしまい、カバーレターも作っておいた。一度、雛形を作っておけば(宛名・挨拶・投稿の意思表示・同封するもの一覧・締めの文句・敬具・署名)、別の雑誌に投稿するときにも再利用できるだろう。