【日記】2021年11月30日(火)

 今日は気分転換を兼ねて、奈良方面での勉強会に参加させていただく。今年は20世紀(現代)思想の大家にして、近年最も研究が進んでいるらしい哲学者の著作をみんなで読んでいる。哲学専攻の人以外で読むから読みの「精確」よりも大雑把な「掴み」を優先する、気軽な場であるのもちょうど良い。

 

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 近現代史をやっていると、手に取る史料が多くなり、細部に宿るとされる神を目を抉るようにして探すことになる。そうすると、史料(や二次文献)は読むというより処理する対象になってしまいがちであり、挙句の果てに「近現代史家は体力勝負である」かのような言説がまかり通り(ある一面では当たっているが)、問題構成にしがみつくことが疎かになってしまう。一本筋を通すこと、それがなるべく歴史全体の大きな幹へと繋げられるよう、思考の土壌を耕すこと。

 そこで大物の哲学書を読むのは頭の訓練になる。専門分化と競争が世界中でますます進むなかで、新しい歴史観や枠組を作ろうという欲望は、精神的にも物理的にも抑圧されざるを得ないが、哲学者のテキストに触れると、専門の細かい研究とは別に、史観の研究を独自に進めねばならないという思いが強くなる。経験的事実をそのまま並べるのではなく、それらをどのように配列するか、提起した問題に答えるために必要な概念をどう操作・創出していくのか。博士論文ではせめて、その真似事くらいはできていなくてはダメなのだろう。

 終電ギリギリまでオフラインでの歓談を楽しむと、急いで電車で帰宅。次の日はしっかり原稿に取り組まねばならない。雨でずぶ濡れになりながらも、一緒に早起きしてもらうために、同志の家で宿泊。