【お知らせ】日本思想史研究会(京都)で報告します(2022年11月11日)

今週金曜日の夕方より日本思想史研究会(京都)にて口頭報告を行います。

一言でいえば、戦時下において日本の西洋学者はいかに「世界の一体化」について考え、哲学者と議論し、自らの歴史思想を提示したかという問題を、鈴木成高という学者の事例から考えるものです。これは博士論文とは別に進めているプロジェクト「20世紀前半の日本の歴史思想とその〈外部〉」の一貫です。
 
<概要>
題目:「世界史」をめぐる闘争:西洋史家・鈴木成高の「近代の超克」と方法としての「西洋」
発表者:吉川弘晃(総合研究大学院大学文化科学研究科国際日本研究専攻博士課程)
日時:2022年11月11日(金)18時~
場所:Zoomでオンライン開催
(会員以外の参加希望者は前日までにshisoshiken@gmail.comにご連絡ください。)
 
<要旨>
本報告の目的は、西洋史家・鈴木成高の歴史思想を検証することで、「近代の超克」という問題系では見過ごされてきた知的活動のあり方を明らかにすることである。
大東亜戦争」開戦前後に行われた座談会「世界史的立場と日本」は、京都学派が犯した「戦争責任」の揺るぎない証拠として現在まで厳しく批判される一方、そこで提起された後発近代国が抱えざるをえない論点は今も無視できない。ここに集った「京都学派四天王」のなかで鈴木は、ただひとり歴史家として参加し、哲学と歴史学を越境した「世界史」の議論を可能にするという重要な役割を担っていた(植村和秀、2007)。それにもかかわらず、その他の哲学者(高山岩男西谷啓治高坂正顕)に比べて無視されるか、あるいは「実証主義」を逸脱したイデオローグとして批判されるかであり(小山哲、2016)、鈴木の展開した歴史思想の意義はほとんど検討されていない。
ここで問いたいのは、「全球化globalization」批判における「西洋」と「近代(性)」の位置づけである。「超克」論の多くは両者をひとつにして批判しており、例えば高山は「東洋」と「前近代」をそれらに対峙させる歴史観を展開した。これに対し、鈴木は一貫して「ヨーロッパ」の視座から出発し、「西洋」と「近代(性)」の関係性を突き詰めて把握することで、内在的な「超克」のための歴史叙述を目指した。彼が敢えて選択した「西洋中心主義」的な立場は、果たして近代日本の「東洋意識Orientalism」に与するものであったのか(菅原、2011)。
以上の問題に取り組むべく、本報告ではまず、鈴木が歴史思想の研究に至る過程(ランケ研究)を概観し、次に「世界の一体化」をめぐる高山との論争を検討したのち、最後に鈴木が西洋史家として戦争末期につくりあげた方法とその意義を検討する。
○主要参考文献
植村和秀 『「日本」への問いをめぐる闘争––––京都学派と原理日本社』 柏書房、2007年
小山哲 「実証主義的「世界史」」 秋田茂他編著『「世界史」の世界史』 ミネルヴァ書房、2016年
菅原潤 『「近代の超克」再考』晃洋書房、2011年
鈴木成高 『ランケと世界史学』弘文堂書房、1939年
高山岩男(花澤秀文編) 『世界史の哲学』こぶし書房、2001年
…………
京都学派の「世界史の哲学」といえば、日本の知識人による「戦争協力」の最たるものとして悪名高いのですが、そこに哲学者だけでなく歴史家が関わっていたこと(そもそも歴史学ぬきに「世界史」など論じられなかった!)の意味は、哲学研究でも歴史研究でもあまり注目されていません。
彼は「実証史学」を逸脱してイデオローグに走った人としてタブー視されていたのを、私が京大で西洋史学を専攻しているときに知り、同時に興味をもって今に至るまで調べつづけています。寡作ではあれども、独特の文体、戦後の出版会での活動、(公職追放後)早稲田大時代に残した思想的影響を知るうちに、今では鈴木が非常に面白い磁場をつくっていたのではないかと考えています。
つまり、鈴木の師匠として坂口昂(たかし)たちの史学論、彼の親友として唐木順三たちの創文社筑摩書房グループ、彼の弟子として関東の西洋中世史・精神史家たち(早稲田系)グループ。彼らが織りなす問題は様々ですが、いずれにしても「近代主義」(マルクス主義にせよ丸山学派にせよ)を迂回し、「中世」(古代末期・ルネサンス期)から「ヨーロッパ」と「世界史」(そして「日本」)を考えようという志向を共有していたのではないでしょうか。

今回はほんの一部の論点のみを扱った投稿中の論文をもとに報告します(ダラダラと書き続けた割にまだまとまっていませんが…)。
 
日本思想史だけでなく、日本史・西洋史歴史教育など、さまざまな領域に関わる話になるので、なるべく多くの分野の方々からのご批判・ご助言をいただけると嬉しいです。