【日記】2021年11月24日(水)

 昨日は福島出張の疲れが度を越していたからか、自然な眠りに落ちることがなかなかできず、朝11時に目を覚まして約束のオンライン会談を30分ほど行った。身体がまるごとより多くの睡眠を要求していたので、もう一眠りしていると外の空気は既に闇に覆われていた。15時間の睡眠で旅の疲れは快復した。要は丸1日寝ているだけであった。だが「作らずして喰わず」だ。もう30超えたのだから、たとえ駄文であっても毎日、何か書かねば。

 

 さて、先月にある公募に落ちた。それは日本国内でも屈指の研究機関で、修士号取得でも応募できるとあり、一応は私のカバーする領域であった。今時、ポスドクですら3年以上の雇用はほとんどないなか、採用期間は5年以上という破格の条件。だからダメ元で出してみたのだが、面接にさえ呼んでもらえなかった…。

 敗因としては、まずは求められる分野と自分の分野が実はズレていたことが考えられるが、そればかりはどうしようもない。しかし、次の2点は改善できるはずだ。第一は、業績数の不足。募集要項には「著作や論文を3本出してください」とあったが、募集時の私は査読付き論文1.5本、査読なし1本(掲載予定)しかなかったため、そもそもエントリー基準すら満たしていないことになる。

 次に、応募体裁の調整。毎度ながら締切ギリギリに書類を揃える悪癖が治っておらず、この募集でも論文複写や履歴書・業績一覧などを徹夜で作って、締切当日にバイク便で届けてもらうという有様であった。公募というのは、論文や書き物と違って「最後の悪あがき」など通用しない世界、引っかかるかどうかはつゆ知らずドンと構えているしかないものなのだから、早めに出してしまった方がいい。また、公募は自分の人柄を書類だけで伝える工夫が必要であることを考えれば、書類だけをぶっきらぼうに出すのは体裁として良くなかった。

 その後、ある海外研究機関のプロジェクトRAに応募しているのだが、そこで「カバーレター」という風習を知る。要は応募書類とは別に提出する短い手紙のことである。欧米のRAやポスドクに応募する際は勿論、英語の査読誌に投稿する場合もこれを書くことが多いのだという(自然科学や社会科学を専攻する人にはお馴染みだろう)。確かに、見ず知らずの誰かさんから応募書類一式だけをぶっきらぼうに渡されるより、ちょっとしたものでも誠意を見せるものがあった方が印象ははるかに良いだろう。なお、人文系で英語圏のポストに応募する際のカバーレターの書き方については以下のサイトが大いに参考になった。

 

transculturalconsultancy.com

 

 というわけで12月最初に、ある雑誌に投稿しようと試みているが、すぐに用意できる書類は用意してしまい、カバーレターも作っておいた。一度、雛形を作っておけば(宛名・挨拶・投稿の意思表示・同封するもの一覧・締めの文句・敬具・署名)、別の雑誌に投稿するときにも再利用できるだろう。