【日記】2021年12月2日(木)

 午前は定例のゼミに出席。今回もほとんど発言できず面目ない。引き続き原稿に向かうが、心は完全に来週の史料調査と年末の休暇へと向かってしまう。長い文章を書くときは、躁鬱の2つの状態を行き来するものであるが、最も大事なのは、自分が予期するレベルのものを自らの筆が裏切らざるを得ない(そのほとんどは水準よりも低いという意味で)という「諦念」の境地を経ることである。

 1~2万程度の文章で「諦念」というのだから、20万字の博論(日本の大学院の歴史学系での水準?)を書き続けるには「絶望」が必要となるのだろう。一応、曲がりなりにも戦間期ソ連に関わる日本史・国際関係史を扱うということもあり、願掛けの意味も込めて博士論文は「五カ年計画」としているが(神様、仏様、人民様、同志スターリン様…、唯物論者でも博士号を取るときくらいは何でも拝ませていただくほどには私は「ご利益主義者」である)、最初の4年間は、おそらく以上の「絶望」と仲良くなるために用意された貴重な時間なのだろう。

 「表現」という実践は、どんなに頭でわかったつもりになっても、結局のところは文字通り文字を刻みつけることであるから、身体的な次元に落とし込む必要がある。この場でもいずれは項を立てて書いていきたいのだが、ひとまず、この問題について、マニュアル論的次元と現象学的次元を両立させた本として以下をあげておく。

 

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