【日記】2022年11月20日(土)

 昼夜逆転生活が続く。しかも毎週金曜日の夜間は、カルチャースクールでのアルバイトがあり(割と楽しくやっている)、夕食が夜食と化すのがほぼ避けられない。昨日は久々にある繁盛店に閉店間際に駆け込み、家系ラーメンと白ご飯をいただく。30歳を超えて胃もたれすることが増えたので、「脂多め」には挑戦できなくなってきたが(その悪魔的誘惑に乗ったが最後、運が悪ければ夜に嘔吐感と頭痛に襲われてしまう)、「スープ濃いめ」でなんとか凌いでいる。茶碗に豆板醤とおろしにんにくを大量に乗せておき、「ご飯+スープ」にこれらをかけて食べる。混ぜてしまわないことが重要であり、特に半固形のにんにくのもたらす臨場感は、「のり+麺+スープ」の調和を祝福することであろう。

 そんなこんなで、帰宅後はたまった依頼仕事や書き物を終わらせるつもりだったが、ほとんど動けずに受動的な趣味で夜をふかしてしまった。翌日は昼過ぎに起き、天気も良かったのだが、ほとんど動けず仕舞いで、夕方までぼーっとしていた。いや、正確に言えば、複数の選択肢を選び取りかねている間に時間が過ぎてしまったのである。映画館に行くか、博物館に行くか、はたまた外食にでも行くか、自炊の材料を買いに行くか、そもそも本日を休みにするか、仕事日とするか…。これでは頭も身体も休まらない。

 結局のところ日曜日の変わり目まで「精神のスタック」は続いたので、気分を変えるために常備薬を飲んで作業に向かっている。そろそろ次の投稿論文を書いてしまわねばならないし(年度末にはもう1本控えている)、大事な依頼仕事も数本抱えているし、職場や研究会に向けてエッセイや書評もやらなくてはならない。

 アウトプットに向けた身体と精神のストレッチは、毎日何かしらの文章を紡いでいないと、甚だ時間と気力を要するものだ。そもそも私が常にどこか陰鬱なものを抱えているのは、近い世代の成功者への羨望や嫉妬に気を取られているばかりではなく、電子タブレットを触れば自然と入ってくるインプットの洪水に呑み込まれているからである。過去・現在・未来のもろもろが意識のなかを駆け巡っては、気分を上げ下げするので、こちらとしてはたまったものではない。とにかく、(どこを1日の句切れとするのかがわからないが)恣意的に決めた1日の最初か最後に、頭に浮かんだことを書き記しておく。その日にやったことでなくてよい。長くなくてもよい。脈絡や因果関係、起承転結が綺麗でない方がむしろよい。とにかく毎日、何かちゃんと書き記して、不特定多数に晒しきってしまう習慣(そもそも習慣化という流れがとても苦手なために人生苦労している…)を作っていきたい。結局は表現力とは速度と量によって決まるのであり、そしてその基盤は、恥も外聞も捨て去って、ある種の諦めを素早く受け入れることにあるのだから。

 そういうわけで勢いあまって、この「想起帳」なるブログを作って、早速いくつかの記事を一気に投稿・編集しているわけである。